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【続、おはなしスープ】スープに見た夢

更新日:2023年7月8日

今月の一冊📖

パンとスープとネコ日和 /群ようこ



 すでに知っている物語をふたたび読んだとき、不思議な現象が起こることがある。

文章越しに見える景色や、人物の発する言葉の印象が、以前読んだときとくらべて、どうも違う。紙に印字された物語が、いつのまにか書き換えられていることなど起こり得ないのだから、つまりは自分が変わったということになるのだろう。

『パンとスープとネコ日和』でも、今回そんな読書体験を得た。


 食堂を営む母親とふたりで暮らしていた主人公のアキコは、母を突然亡くしたことをきっかけに、長年勤めていた出版社を辞め、食堂を改装して新しい店をはじめる。

 メニューは日替わりのサンドイッチとスープ、サラダ、小さなフルーツ、それだけ。

修道院の食堂をイメージした店内は清冽で無駄なものが一切なく、昭和の食堂然としていた母の店を好んで通ってきていた常連客からの評判はイマイチだったが、それでもアキコは、少ない品数でも安心できる食材を使って、手間ひまかけて作って出すことを店の信条に掲げた。

 なんでもあるのではなく「あれ」がある店。みんな好きではなく「私は」好きと思ってもらえる店。不特定多数を相手にする商売であっても、一対一の関係を築いていこうとしたわけだ。

 アルバイトに「しまちゃん」という女性と、新たな家族にネコの「たろ」を迎え、アキコの挑戦は幕を開けるのだった。




 10年前、この小説を最初に読んだときの私は、しまちゃんの目を借りて、アキコにひとりの友人の姿を重ね見ていた。

 姉のように慕っていた4歳上の彼女は当時、下北沢の路地裏で手作りケーキを出す喫茶店を営んでいて、開店時から私も店を手伝っていた。

 毎朝きまって苛まれる、一人も客が来なかったらどうしようという不安も、すべきことを整えていくうちにほぐれていく緊張感も、どんなに小さくとも決して聞き逃さない「おいしいね」の一言も。あるいは、味やメニューや経営方針にまでずかずかと土足で踏み込んでこられたときの不快感、そして焦燥感も。どんなに悲しいことがあっても、店を開けなければならないというそのことが、自分を強くしてくれることも……。

 本作に描かれるアキコの日々は、友人の日々そのものだった。しまちゃんほどの存在にはなれなかったかもしれないが、彼女とその店が、時間をかけて、街に必要な存在になっていくのを、必要なかたちに姿を変えてくさまを、私は間近で見ていた。多くの時間をその店で過ごしながら、私も自分の歩むべき道を明らかにしていった。

けれどいまはたと気づけば、アキコは私そのものだった。


 コトゴトブックスという書店を立ち上げて2年が経つ。

 書店とはいえ、月に並べる本の数は10冊程度。どれもまずは読んで、こんなふうに届けたいと思った企画を本に添えて販売している。ずいぶん不便で、ひとりよがりな店であるとは自分でも分かっている。

〈少ないよ、もっとたくさんなくちゃ〉〈すぐに飽きられちゃうよ〉〈自分はのんきに夢を見ているだけなのかもしれない〉

だからアキコに向けられる言葉が、アキコ自身の葛藤が、自分に向かって突き刺さってきたし、お客の反応ひとつひとつを我が事に置き換えては読む手を止め、アキコがスープを仕込む姿には、本を売り出すまでの過程を思い浮かべた。

しかしいっぽうで、アキコの気持ちのブレなさは手綱であり、アキコがもらった言葉の数々は道しるべにもなった。物語の最後に見せてくれた景色は、私の目指す場所として映りもした。

 本とともに歳を重ねていくとはこういうことかと、しみじみ思った。


 ところで。10年前には特段気にも止めなかったもののひとつに、アキコが豆のスープを試作するシーンがある。白いんげん、赤いんげん、ひよこ豆、レンズ豆などがたっぷり入ったものだ。

 〈豆好きにはこたえられないが、豆のパワーが強いから、主食をどうするかが問題になりそうだ。女性はともかく男性は豆が苦手な人も多い。分量を減らすと普通だし、かといってピンポイントで豆好きだけを狙っていいのか。スープではなく、フムスのような豆のペーストにして、付け合わせにしたほうがいいのかもしれないなど、ひとくち食べては、あれこれ考えた。〉

 想像はどこまでも羽ばたいていき、やがて、ものを食べて生きるという原点に立ち返る。

 これこそ、誰にも見られてはいないけれど、誰かの元に届くまでに存在していた時間と思いだ。一皿のスープが出来上がるまでに、ひらめいては立ち消えていったいくつもの可能性だ。

 実はそういうものこそが、店と、その店の出すものを支えているということが、いまなら分かる。


(文・文筆家 木村綾子)



次回の「続 おはなし、スープ」は、


2023年9月を予定しております。お楽しみに♪

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