今月の一冊📖
突然だけれど、僕は東の空から燃ゆるように登る朝日よりも、西の彼方に暁に染まって沈む夕陽のほうが好きだ。一日がもう少しで終わることを示す光、今日という日が限りあるものであることを思い出させてくれる瞬間。半日前から頭上にあり続ける同じ太陽であることは間違いないのだけれど、まるで人が変わったような去り際を見せつけては暗闇にバトンを渡し、その日の役目を終える。太陽が夕陽でいられるのは時間にしては僅かではあるけれど、いつだって言葉にならない気持ちの存在を教えてくれる。
太宰治の代表作「斜陽」は戦後の華族制度廃止により没落貴族となった家族の物語。
文字通り最後の貴族であった母。革命の灯火を心の奥底にに秘める主人公のかず子。ヤク中で破滅に向かう文学青年の弟、直治。そして直治の面倒を見る作家の上原は夜な夜な遊び歩く酒にまみれたロクデナシ。そんな登場人物たちは誰一人として幸福を手に入れることなく、それぞれの抗えない運命のようなものに対峙しながらも、それぞれが西に沈む夕陽のように、人間としての光をチラつかせながらも没落していく。
そんな退廃的な物語の書き出しはこのように始まる。
“朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽(カス)かな叫び声をおあげになった。「髪の毛?」スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。「いいえ」お母さまは、何ごとも無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇の間に滑り込ませた。”
主人公・かず子の母は、貴族としての気品を備え、それでいて人間としてのチャーミングな魅力も併せ持つ特別な人物。その母がアメリカから配給になった缶づめのグリンピイスを裏ごしして作ったポタージュみたいなものを優雅に食すシーンがこと細かく描写され、いかにその母が魅力的な人物であるかを物語る、言葉にするのは難しいが脳裏に焼きつく印象を残すシーンだ。そして何故だ不思議な食べ合わせなのだが、海苔を巻いたおむすびと一緒に食している。グリンピイスのスウプとおにぎり。普通ならば、全くシズらないセットなのだけれど、この物語を読むと魅惑の組み合わせに思えてくるのがまた不思議。それはこの物語がものがなしい結末へ向かう中で、数少ない美しく優雅なシーンだからなのか、自分でもよくわからない。そして太宰治がなぜこのシーンを書き出しに選んだのか尋ねてみたいところだが、それくらいの唐突さを感じさせるシーンだけれども、そんなことを感じながらも誰が何とって言っても、太宰が他のシーンから書き直したいと仮に言ったとしても、僕は断固それを拒否したい。それくらいにグリンピイスのスウプは欠かせないものなのだ。
そして、その緑色のポタージュのようなものは、主人公のかず子の小さくも確かに芽生えた決意、弟の直治の貴族としての誇り、そして母の気高さが、いつまでも朽ちることのない象徴のようなものに思えてきて、想像の上でさえ、その温かい飲み物は、僕の喉を通り、胸までもを熱くさせるのだ。
(文・SNOW SHOVELING店主 中村秀一)
★staff memo★
「斜陽」は、スープなマガジン『SOUPOOL(スープール)』でも取り上げています。
それぞれ異なる視点に、斜陽という小説の熱さ、を感じます。
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