サウス・ロンドン在住のラッパー、ロイル・カーナー。
現代の英国を代表する実力派MCの彼は、料理研究家としても知られている。
カーナーに料理を勧めたのは、特別支援学校の教師として働く母だった。
幼少期にADHD(注意欠如・多動性障害)と難読症を診断された彼にとって、料理に取り組む時間は何よりも心が安らぐものだったという。
『ガーディアン』紙のインタヴューで本人が語ったところによると、カーナーの得意料理は、トマト・ソースと数種類の肉を長時間かけて煮込んだイタリアン・シチュー。その残ったソースで茹でたスパゲッティがまた、絶品らしい。
精進料理の大家として知られる僧侶、正寛(チョン・クワン)の発言を引用しながら、カーナーは料理についてこうも語っている。
「僕にとって、料理は瞑想に最も近いものなんだ」
そんなカーナーの楽曲には、料理にまつわるラップ・ソングが数多く存在する。
たとえば、彼のセカンド・アルバム "Not Waving, but Drowning" に収録されている 'Ottolenghi'。
イスラエル生まれの料理人ヨタム・オットレンギに捧げた楽曲で、そのリリックはカーナーの実体験に基づいたものだ。
移動中の電車内でお気に入りの本を読んでいたところ、カーナーは見知らぬ男に「そんな本をここで読むな」と注意される。
カーナーが手にしていた本のタイトルは『エルサレム』。尊敬するオットレンギが書いた中東料理の本だが、どうやら男はそのタイトルから聖書と勘違いしたようだ。
いずれにしても、その言動から相手の反ユダヤ思想を感じ取ったカーナーは、男にこう返したという。
「これは料理本だけど、僕にとっては確かに聖書のようなものだね」
同じく "Not Waving, but Drowning" に収録されている 'Carluccio' 。これは「イタリア美食のゴッド・ファーザー」とも称される料理人、故アントニオ・カルルッチョに捧げた曲だ。
幼くして両親が離婚し、継父も亡くしたカーナーにとっては、シェフとしても、家庭人としても、自分のロール・モデルといえる存在だったカルルッチョ。そんな彼が亡くなった日の悲しみを、彼はこの曲で書き残している。
料理、または料理人から多くを学び、それを音楽作品としても昇華させていくなかで、カーナーはADHDが創造性の源であり、自分にとって必要なものだと捉えるようになったという。
2016年、カーナーはADHDを持つ若者のための料理教室「チリ・コン・カーナー(Chilli Con Carner)」を開設。現在に至るまで運営を続けている。
若者たちに料理を教える人気ラッパー。
異色の経歴にも思えるが、彼にとっては音楽も料理も並列にあるもの。どちらもなくてはならないものなのだ。
(文・渡辺裕也)
Message to all the readers
ある一杯のスープが人生や生き様を物語り、時にはアーティストの創作意欲へとつながる——本連載『ハミング・スープ』ではそんな事例を毎回取り上げてきた。そんな『ハミング・スープ』も、今回の更新を持って一区切りとなる。
正直、開始当初は「いつまでネタが持つだろうか…」と不安だった。
ところが、いざ調べ始めてみると「音楽」と「スープ」の関係は実に深く、題材は尽きるどころか、ここで取り上げたい楽曲は増えていくばかりだった。
紹介したい楽曲はまだまだある。でも、それはまたの機会に。
最後に、私にこのような場を設けてくれたsoupn.編集部のみなさん。
そして、この連載に一度でも目を通してくれた読者の方に、深く感謝を申し上げます。
約2年半、ありがとうございました。
またいつかお会いしましょう。
(文・渡辺裕也)
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