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最終話【おはなし、スープ】出発のクラム・チャウダー

今月の一冊📖

白鯨 / ハーマン・メルヴィル


“青春ごっこを今も 続けながら旅の途中 ヘッドライトの光は 手前しか照らさない

真暗な道を走る 胸を高ぶらせ走る 目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ”


と、冒頭から突然すぎるフラワーカンパニーズ「深夜高速」の歌詞の引用です。

そしてサビでは叫ぶように、こう歌います。


“生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜を探してる”


こんな私でも時々「生きててよかった」と思うことがあります。こうやって好きな本のことを書かせてもらってることもそうだし、つい先日なんて仕事で行ったフェス(森、道、市場2022)で思いがけずサニーデイ・サービスを聴くことができて、思ったのです。


生きててよかった〜。


本題に逸れますが(当たり前である)、「読んでてよかった」という本もあります。特に歴史小説や古典などは、いろんな人と言葉や意見を交わすときに、共通言語になりやすい。「彼はギャツビーみたいだね」とか、「ソローの読みすぎだよ」なんて言うだけで的を得てしまうこともしばし。そして今回紹介する{白鯨 / Moby Dick}もまた「読んでてよかった」と思わせてくれる物語なのです。


名前は知っていても、なかなか読んだことのない物語(かもしれない)で、多くの人が挫折を経験している本でもあります。何せ冗長。そしてほぼほぼほぼほぼ鯨の話。なのにあらすじは59秒で言えてしまう。まるでケーブルカーで上がれる富士山を、わざわざ一合目から2本の脚で登るようなものなのです。それでもね、それでもロープに引っ張られてのうのうと上って見下ろす頂上からの景色と、自分の脚で一歩ずつ登った頂から広がる風景とでは同じようでいて、その噛みしめかたが異なるように、白鯨を読んだものにしか味わえない心象風景が貴方を待っている。信じてくれていいです。


さてさて今回のスープの話は、15章「寄せ鍋料理(チャウダー)」で主人公のイシュメールが旅の道連れ、銛打ちのクイークェグと共に訪れた<鍋屋/Try Pots>での出来事。店のおかみさんに「蛤(クラム)か鱈(タラ)か」と乱暴に尋ねられた二人は、「蛤がもてなしですかい?」と怪訝に尋ね返すも、忙しいのか相手にされなかったのか、おかみさんは「蛤」という言葉だけを拾って、そのまま調理場に「蛤二丁!」と注文してしまう。ところが晩飯に蛤なんかでしのげるかと不安を抱える二人の前に登場したのは、、、、ここからは引用にて失礼。


“ああ、読者諸君!つまりはこういうことなのだ。おかみさんの言う「蛤(クラム)」とは、せいぜい『はしばみ』の実ほどの、小さな、汁気たっぷりの貝に、砕いた堅パンと、こまかく薄切りにした塩漬けの豚肉とを混ぜ、たっぷりのバターを溶かしこんだ上に、塩胡椒を充分効かせたやつだったのだ。何しろ凍えそうな船旅のおかげで食欲はなおのことかき立てられていたし、ことにクィークェグは好物の魚介料理を目の前に出され、それがまたとびきりうまかったものだから、ふたりともまたたくまに平らげてしまった。”


旅先で訪れる食堂で美味しいものと出会う感動はいつの時代の変わらないもので、その彼らの口福が、鍋料理(チャウダー)の湯気だった匂いとともに伝わってきそうだ。予想のつかない食べたことのない料理との出会い、その未知との遭遇から得られた新しい満足感で、この章ばかりはページをめくる手が軽快に進む。


その後彼らはエイハブ船長が待つ、捕鯨船ピークォド号に乗り込み、貴方はいくつかの数えきれない欠伸をしながら、遙か日本沖でモービー・ディック(まっこう鯨)との死闘を目の当たりにするでしょう。


鍋料理(チャウダー)はじっくり煮込んで美味しくなる料理ですが、この白鯨という作品は「じっくり」が過ぎて前途の通り苦行に近い。がしかし、それはやはりインスタントのスープでは味わえない、ページを一枚一枚めくった者にしか味わえない体験に貴方を誘うでしょう。エイハブ船長の復讐心と狂気が時に貴方を駆り立て、いくつかの執念を振り絞って、あらゆるメタファーをくぐり抜け、貴方は読者として白鯨との戦いに参加する。そしてその本を閉じたときに貴方は思うかもしれない、「生きていてよかった」。そして後に、いつか、こう思うかもしれない、「読んてでよかった」と。


(文・SNOW SHOVELING店主 中村秀一)





お知らせと感謝の気持ちを添えて


今号をもちまして、SNOW SHOVELING・中村店主によるコラムは終了いたします。

ずっと、密かに中村さんのファンでいた私は、このsoupn.ウェブサイトを立ち上げるにあたり、半ばだめもとで中村さんにメールしました(当時コロナ感染が本格化し、戦々恐々としていた2020年の春)。このときの私自身の気持ちはネガティブ脳が発令し、きっと賛同いただけないだろうな...と返信がくるまで悶々としていました。

ところが二つ返事で「いいですよ」といただき、それから気が変わらぬように...事を進め無事1回目の原稿をいただくことに成功。それから約2年間、どっぷり中村ワールドに浸かることができました。中村さん、本当にありがとうございました。この多幸感は忘れません。

そして、これが終わりでないことを誓い、またおもしろいことを見つけてお仕事をご一緒できたらと目論んでいます。


次回から、中村さんとバトンタッチで、文筆家・木村綾子さんの連載がスタートします!

初回は7月21日(木)公開。セレクト本は『白鯨』。今回限定のスペシャルコラボ、中村さんのコラムとリレー形式でお届けします。これは見逃せません!お楽しみに。


(soupn.スタッフ umico)



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