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「◯◯とはスープのようなものだ」。こんな台詞をあなたも一度は耳にしたことがあるはず。

実際、言葉を生業とする作家がなにかしらのメタファーとして「スープ」を用いるケースは、

意外とよくあること。そして、もちろんこれはポップスの歌詞も例外ではなかったりする。

 


「スープ」とは、主に何のメタファーとして機能しているのだろうか。

そこでスープを題材とした歌をいくつか参照していくと、ちょっとした傾向が見えてくる。

それは、ポップ・ソングの歌詞に登場するスープは「やがて冷めるもの」という意味合いで使われがち、ということ。

たとえば、あるひとはスープを冷え切った恋愛関係となぞらえたり。

また、あるひとは、かつての情熱が失われていく様をスープに重ねたり。

 

といったように、どうやら「スープ」という言葉を用いる作詞家たちの多くは、

その「温度による風味の変化」に着目しているようだ。


そんな数多あるスープ・ソングのなかで一線を画しているのが、

イギリスのロックバンド、10ccが1975年に発表した「ライフ・イズ・ア・ミネストローネ」だ。

 

さっそく、コーラス・パートの訳詞を読んでみてほしい。


<人生はパルメザン・チーズがかかったミネストローネのようだ/死ぬことは冷凍庫に入った冷たいラザニアみたいなもん>


ご覧の通り、この歌詞にはミネストローネと並んでラザニアが登場している。

しかも、そのラザニアは冷凍庫のなかですっかり冷え切った状態だ。

一方、その対比として挙げられているミネストローネはどうだろう。

 

想像してほしい。

 

もし目の前に温かいミネストローネとカチコチのラザニアが並んでいたら、あなたはどちらを食べたくなるだろう?

そう、ここで人生のメタファーとして用いられているミネストローネは、熱々であることが前提とされているのだ。


もちろん、熱々であればどんなスープでもいいわけじゃない。

 

つまり、これは「人生はクラムチャウダー」とか「人生はコーンポタージュ」ではダメなのだ。

世界中を旅してまわり、人生を自由奔放に味わい尽くそうと謳った同曲のタイトルは、

特に決まったレシピもなく、さまざまな野菜をごちゃまぜに煮込んだミネストローネがやはりふさわしい。

ちなみに、どうやら1975年当時の日本では、ミネストローネという名前は一般的ではなかったようで、

この曲には「人生は野菜スープ」という邦題が付けられている。

カップスープやファミレスでもミネストローネがすっかり定番化した今となっては、ちょっと時代の変遷を感じてしまう。

そう、ポップスは時代を映す鏡。

たとえば、気候変動が食品のトレンドにも影響を及ぼしているとも言われる昨今だけに、

そろそろ「人生は冷製スープ」なんて歌が生まれてもいい頃なのかもしれない。

​(文・渡辺 裕也)

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