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「セカンド・ライン」という言葉をご存知だろうか。

これは米ルイジアナ州ニューオリンズで催されるパレードの呼称であり、

主に「ジャズ・フューネラル」というブラスバンドを伴う葬儀の際に行われてきた伝統行事だ。

その起源は奴隷たちが西アフリカの伝統的なダンスを

ニューオリンズに持ち込んだことにあるとされており、

過去には白人住民の生活を脅かす風習として、

公式にダンスが禁じられていた時期もあったという。

いまやセカンド・ラインは

アメリカの最も重要な文化遺産のひとつとして定着。

その後のジャズやファンクにも多大な影響を及ぼし続けている。

 

そんなニューオリンズの伝統が世界的に知られる

きっかけとなったのが、ドクター・ジョンが72年に発表したアルバム『ガンボ』。

同作にはニューオリンズに伝わるスタンダードなR&Bのカヴァーがいくつも収録。

とりわけシングル・カットされた「アイコ・アイコ」は

全米チャートにもランクインするほどのヒット曲となり、

セカンド・ラインの特徴的なリズムは徐々に

ポップ・ミュージック全土へと普及していった。

アルバム・タイトルの『ガンボ』とは、

18世紀初頭から伝わるルイジアナ州の伝統料理のこと。

オクラやフィレ・パウダー(サッサフラスの葉を粉状にしたもの)によるとろみが特徴的なスープだ。

結果としてセカンド・ラインは現地の伝統料理とセットで認知されることになり、

一部では「ガンボ・ミュージック」として愛されるようになる。

こうしてニューオリンズ音楽は世界中のアーティストを触発していった。

それはここ日本においても例外ではなく、

たとえば細野晴臣の76年作『泰安洋行』は『ガンボ』の影響を抜きに語れないし、

元ローザルクセンブルクのどんとが結成した

伝説的なバンド「ボ・ガンボス」に関しては、まさにその名が語る通りだ。

ニューオリンズ音楽を継承する日本人作家といえば、

真っ先に思い浮かぶアーティストがもう一人いる。

オリジナル・ラブの田島貴男だ。

 

オリジナル・ラブが初めてセカンド・ラインのリズムを取り入れた曲は、

94年のアルバム『風の歌を聴け』の

収録曲「フィエスタ」。

これは音楽的な引用だけでなく、セカンド・ラインが

葬儀のための音楽であることも踏まえた曲で、

そこにはニューオリンズの伝統に対する田島の理解と敬意が垣間見える。

そして田島流のセカンド・ライン解釈といえば、

やはりこの曲に触れないわけにはいかない。

96年作『Desire』の収録曲

「ガンボ・チャンプルー・ヌードル」。

「タッツタッツタッツタタッタッ!」という

セカンド・ライン特有のスネアロールに沖縄三線の旋律が重なるこの曲は、

まさに異文化のごった煮スープ。

そのエキゾチックなサウンドは斬新であるだけでなく、

さまざまな文化の融合から生まれたニューオリンズ音楽の在り方も確かに引き継いでいる。

こうして見ていくと、訪れたこともない土地の伝統が意外と身近に思えてくる。

あなたが普段からよく耳にしている音楽のなかにも、

どこかにニューオリンズ風の味つけが忍んでいるかもしれない。

(文・渡辺裕也)

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