主役のいないスープ
サンドイッチが好きだ。玉子、ハム、キュウリ、チーズ、具材はなんだっていい。
食べ物としても、造形も、音も、その存在を愛す。
ピクニックに、夜食に、あるいは「カランコロン」と入った喫茶店で文庫本の文字列から目を離さずに、
片手でサンドイッチを頬張るなんてのもいい。そんな偏愛をここで語ろうというわけか。
今回のお話はサンドイッチです。というわけには当然いきません、そう、スープ、スープ。
今回はサンドイッチのためのスープの話。
吉田篤弘による月舟町三部作とも言われる作品の中から、
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」という一冊。
なんて素敵なタイトルなんだろう。できれば、僕だってそんな暮らしがしてみたいと思う。
そう、"スープのことばかり考えて"暮らすのだ。一週間くらいならやってみたい。
銀幕映画の脇役の女性に恋をしていて、津々浦々の映画館に通っては
スクリーンの彼女に会いに行く、ことくらいしかすることのない主人公オーリィ。
越してきた町で”人生が変わってしまうほどの味”のサンドイッチと出会い、
ちょっとしたキッカケでその店で働くことになる。小さな商店街のはずれにあるその店の名は『トロワ』。
その店の親子や、オーリィが住むアパートの大家のマダム、
そして彼が通う映画館で出会う人たちとの何でもない日々を綴った物語。
トロワで働くオーリィは、ある日店主の安藤(アンドゥー)さんから重大な任務を与えられる。
お店の新商品として、サンドイッチに合うスープを開発するよう命じられる。
味噌汁だけが得意料理だった彼に飛んできた白羽の矢だが、
"人生が変わってしまうほどの味"を教えてもらったサンドイッチ屋から、
スープをつくりはじめることで、そこから本当に彼の人生が少しずつ、少しずつ変わり始めていく。
映画館で必ず鉢合わせになる緑色の帽子をかぶった老婦人(あおいさん)との不思議な縁で、
オーリィは彼女からスープづくりを学ぶことになる。
えんどう豆のスープとかぼちゃのスープを提供された彼は、その味に感嘆し、
「うわぁー」と「おお」とか「うーん」とかいった言葉しか出てこない。
「どうしてこんなにおいしいんでしょう?」と彼女に問うと、
「若くて二枚目の男性にごちそうしようと思ったら、
どうしたっておいしくなるはずでしょう?ただそれだけのことです」とはぐらかしつつ、
「おいしいものをつくる人は世の中にたくさんいるし、それはそれはみんな一所懸命につくっているはずですけど、
一所懸命だけじゃまだ足りないの ~中略~ 一所懸命と思っている人は、たいてい自分のために懸命なだけで、
そうじゃなくて、恋人のためにつくるようにつくればいいの。わたしはそうするの。
そうすると、一所懸命の他にもうひとつ大切なものが加わるでしょう?」と少しだけ語気を強めて言う。
なんて事を"からかったように"言いながら、
最後の最後には「何よりもレシピどうりにつくることが大切なんです」と
そのレシピを彼に伝授するのだった。
そうこうして、オーリィのスープづくりは「コトコト」と完成への路を歩み、
そしてユニークで奇妙な登場人物たちまでもが、
鍋で煮込むことによって味が整うように、物語までもがおいしい仕上がりへと進んでいく。
そして彼が仕上げたスープは「名なしのスープ」。たくさんの食材を使った、けれどどれも主役ではない、
”主役のいないスープ”だ。まるでこの物語そのもののような、一皿だ。
"あれから僕たちは、何かを信じてこれたかな”とスガシカオは歌詞にしましたが、
これからスープでもつくってみようかと思ったアナタは、この本の最後に
(おそらく、あおいさんからオーリィに伝えられたであろう)「名なしのスープの作り方」として
レシピではなく心得のような箇条書きが(たくさん)あるので、
全部お伝えしたいけど幾つかをシェアして、サヨウナラ。
○どんなスープが出来上がるかは鍋しか知らない。
○空の鍋に何か転がり込んでこないものかと、ほどほどの期待をする。
○何でもいいが、好物のじゃがいもは入れておきたい。
○晴れていようが、曇っていようが、雨だろうが、スープはどんな空にも合う。
○本当は完成などないが、まぁ、いいや。
○とにかく、おいしい!
(文・SNOW SHOVELING店主 中村秀一)